令和2年度修了の集い&お別れ会
- 2021/03/17
- 19:08
快晴の本日、令和2年度修了の集いを行いました。別れの機会を守りたいという願いで、昨年度に続き縮小開催しました。その後、緑の広場で記念撮影、食堂でお別れ昼食、体育館でお別れステージを行いました。お別れステージではバンド演奏、楽器演奏などで大変盛り上がりました。
感染拡大防止のため、修了生、修了生の保護者、在園生、スタッフのみで行いました。今では日常となってしまったマスク姿でしたが、開催できたことが何よりでした。このようなときだからこそ、スタッフ全員で心を込めて送り出しました。普段は“頑張れ”という言葉は使わないようにしていましたが、今日だけは心の中で“頑張れ”と祈りながら神出学園という止まり木から飛び立とうとしている鳥たちの背中をそっと押させていただきました。修了生には、本当の居場所で思う存分飛び回って欲しいと願います。4月には49期生が入学します。飛ぼうとしない鳥たちに、また寄り添っていきたいと思います。


《修了生代表 旅立ちの言葉》
今日、修了生代表としてこの場に立ち、話しができることをとても嬉しく思います。
僕は、神出学園に入るまで、七年という長い間家に引きこもっていました。生活習慣の乱れによる自律神経の低下、不完全燃焼の部活、プライドが高いのに努力をしない自分、両親の離婚。当時、学校へ行きたくなくなった理由は、はっきりわかりませんでした。ただ、何も考えず、すべてが面倒くさくなっていました。今振り返ってみると、自分のこと全てが嫌になっていたような気がします。
家に引きこもった初めの頃は、ゲーム、アニメにはまりのめり込んでいましたが、それもだんだん楽しくなくなりました。週に一度、フットサルに参加したり、父の職場に行ったりしたこともありましたが、ほとんどの時間、動画を見てゴロゴロ過ごし、意味もなく無駄な時間を送っていました。「何も楽しくない。」そう感じる日々でした。
中学一年から十八歳までは、反抗期でした。自分の未熟さゆえ、母や弟につらく当たってしまい、家の壁に穴をあけたり、家族に手をあげたりしたこともありました。二十歳を過ぎてからは、それまでの自分の言動を後悔するようになり、時には泣いたりすることもありました。
二十歳を超えても、何もしない、何もない自分に焦り始めました。そんなできない自分でも何かしなければと感じ、母に頼み、姫路若者サポートステーションを見つけてもらいました。そこで、神出学園を紹介され、その場で強引に一日交流体験の予約をさせられたのが、神出学園との出会いでした。
最初の一日交流体験では、かなり緊張していました。周りからどう見られているのかが常に気になり、気持ち悪くなったり、挙動不審になったりしました。二回目の交流体験に参加した時、スタッフから「十月選考まで時間がないよ。」と言われました。当時二十二歳だった僕は、神出学園入学ギリギリの年齢で、この時を逃したら入学できないというところでした。神出学園がどのような場所かよくわからない状況で、ましてや自分の人生に必要なのかわかりません。ただ、一日交流体験で出会ったスタッフから、ものすごくやさしさが伝わってきたので、「ここなら、やれるかも。」と思いました。一方、周りは十代ばかりなので「自分は本当にやっていけるのか、溶け込めるのか。」という不安もありました。でも、今ここで入学しなければこのまま家で何もしない自分がいる。家を出たいという気持ちもあったので、神出学園に入学することを決めました。
神出学園に入って、十月生の同期にずいぶん助けられました。年齢的に近い彼らは、自分の考えをしっかりもっていて、とにかく安心する存在でした。彼らの存在は自分にとって大きく、出会えて本当に運がよかったと思います。彼らとは入学してすぐに打ち解け、その流れで四月生や先輩たちとも話をするようになりました。
一年目は、先輩や同期のみんなで、よくスポーツをしました。元々体を動かすことが好きでしたので、大人数でするサッカーやバスケットはとても楽しく、スポーツを通して神出のみんなと仲良くなれたと思います。
また、寮といえば、お風呂。今年はコロナのため、人数を制限していますが、昨年度までは、時間内に自由に入浴していました。帰寮した9時に男子みんなで一斉にお風呂に入ったことで、みんなとの仲が深まっていったように思います。
一年目の三月から二年目の五月末まで、兵庫県に緊急事態宣言が発令されました。神出学園も臨時休業を余儀なくされ、三ヶ月間も家で過ごすことになりました。「家から出るために神出に入ったのに、神出に行けないのはどういうことやねん。」家では引きこもっているときと変わらない生活で、何もしない自分がいました。「このままではあかん。早く再開してくれ。」毎日、そんな気持ちで過ごしていました。
やっと学園が再開したときには「よかった。」と嬉しく思いました。家では気力が出ない自分が神出に来ると、自然とやる気が沸き、体が動いていました。体を動かすと気持ちが上向きになります。また、全力で取り組むこともできました。
入学した頃は、人目がたくさんあるところでの自分の行動を常に不安に思い、また、人と話をした後に、言い過ぎてしまったのではないか、あれでよかったのかと考え込んでしまうことがたびたびありました。
しかし、今では、周りに気を使いすぎたり、気にしすぎたりしていた部分がずいぶんなくなり、普通のことが普通にこなせるようになりました。相変わらず周りからどう見られているのか不安はあるものの、自分の抱えている不安が小さくなったように感じます。それは寮生活やプログラム、行事などで様々な体験をしたからだと思います。体験を通して、自分の経験値が上がりました。
神出の生活では、いつもそばに先輩や同期、後輩、スタッフがいました。毎日人と過ごす生活の中で、人と自然に交流をし、人との距離感をつかんでいきました。人との関わりに慣れ、人との関わりを面白いと感じるようにもなりました。これまでの自分は、どうすれば相手が不快にならないかというマイナス思考で人と関わっていましたが、今では、どうすれば相手が楽しくなるか、また、どうすれば自分が楽しくなるかとプラス思考に変化して、人と関われるようになりました。
二十二歳の時、偶然が重なり奇跡が起きました。一つは僕が前向きになった時期に神出学園を紹介され、入学に間に合ったこと。もう一つは、年の近い十月生の同期に出会ったことです。奇跡が起きたのは、「行動する」ということを自分が選んだからだと思います。「行動する」時、不安や怖さが僕の大部分を占めていました。でも、「何か変わるかもしれない。変わればいいな。」というわずかな希望をもっていたから、行動することができたと思います。希望をもって一歩踏み出すと、すべての道がつながり、今この場に立っている自分がいます。
在園生のみなさん、悩んだり迷ったりしたときには、行動してみてください。わずかでも希望があるならば、おそらく道は開けていくと思います。行動しないと何も変わりません。
僕たち修了生一同は、本日をもってこの神出学園を旅立っていきます。「とうとう終わってしまうのか。こんなにみんなと過ごす楽しい時間はおそらくない。」そう思うと、寂しい気持ちになりますが、神出学園での思い出を胸に、未来に向かって一歩ずつ歩んでいきます。
僕たちをいつも温かく見守ってくださったすべての方々に感謝の気持ちを込めて、これを「旅立ちの言葉」とさせていただきます。
本当にありがとうございました。
令和三年三月十七日 修了生代表 四十七期 T.Y.
感染拡大防止のため、修了生、修了生の保護者、在園生、スタッフのみで行いました。今では日常となってしまったマスク姿でしたが、開催できたことが何よりでした。このようなときだからこそ、スタッフ全員で心を込めて送り出しました。普段は“頑張れ”という言葉は使わないようにしていましたが、今日だけは心の中で“頑張れ”と祈りながら神出学園という止まり木から飛び立とうとしている鳥たちの背中をそっと押させていただきました。修了生には、本当の居場所で思う存分飛び回って欲しいと願います。4月には49期生が入学します。飛ぼうとしない鳥たちに、また寄り添っていきたいと思います。








《修了生代表 旅立ちの言葉》
今日、修了生代表としてこの場に立ち、話しができることをとても嬉しく思います。
僕は、神出学園に入るまで、七年という長い間家に引きこもっていました。生活習慣の乱れによる自律神経の低下、不完全燃焼の部活、プライドが高いのに努力をしない自分、両親の離婚。当時、学校へ行きたくなくなった理由は、はっきりわかりませんでした。ただ、何も考えず、すべてが面倒くさくなっていました。今振り返ってみると、自分のこと全てが嫌になっていたような気がします。
家に引きこもった初めの頃は、ゲーム、アニメにはまりのめり込んでいましたが、それもだんだん楽しくなくなりました。週に一度、フットサルに参加したり、父の職場に行ったりしたこともありましたが、ほとんどの時間、動画を見てゴロゴロ過ごし、意味もなく無駄な時間を送っていました。「何も楽しくない。」そう感じる日々でした。
中学一年から十八歳までは、反抗期でした。自分の未熟さゆえ、母や弟につらく当たってしまい、家の壁に穴をあけたり、家族に手をあげたりしたこともありました。二十歳を過ぎてからは、それまでの自分の言動を後悔するようになり、時には泣いたりすることもありました。
二十歳を超えても、何もしない、何もない自分に焦り始めました。そんなできない自分でも何かしなければと感じ、母に頼み、姫路若者サポートステーションを見つけてもらいました。そこで、神出学園を紹介され、その場で強引に一日交流体験の予約をさせられたのが、神出学園との出会いでした。
最初の一日交流体験では、かなり緊張していました。周りからどう見られているのかが常に気になり、気持ち悪くなったり、挙動不審になったりしました。二回目の交流体験に参加した時、スタッフから「十月選考まで時間がないよ。」と言われました。当時二十二歳だった僕は、神出学園入学ギリギリの年齢で、この時を逃したら入学できないというところでした。神出学園がどのような場所かよくわからない状況で、ましてや自分の人生に必要なのかわかりません。ただ、一日交流体験で出会ったスタッフから、ものすごくやさしさが伝わってきたので、「ここなら、やれるかも。」と思いました。一方、周りは十代ばかりなので「自分は本当にやっていけるのか、溶け込めるのか。」という不安もありました。でも、今ここで入学しなければこのまま家で何もしない自分がいる。家を出たいという気持ちもあったので、神出学園に入学することを決めました。
神出学園に入って、十月生の同期にずいぶん助けられました。年齢的に近い彼らは、自分の考えをしっかりもっていて、とにかく安心する存在でした。彼らの存在は自分にとって大きく、出会えて本当に運がよかったと思います。彼らとは入学してすぐに打ち解け、その流れで四月生や先輩たちとも話をするようになりました。
一年目は、先輩や同期のみんなで、よくスポーツをしました。元々体を動かすことが好きでしたので、大人数でするサッカーやバスケットはとても楽しく、スポーツを通して神出のみんなと仲良くなれたと思います。
また、寮といえば、お風呂。今年はコロナのため、人数を制限していますが、昨年度までは、時間内に自由に入浴していました。帰寮した9時に男子みんなで一斉にお風呂に入ったことで、みんなとの仲が深まっていったように思います。
一年目の三月から二年目の五月末まで、兵庫県に緊急事態宣言が発令されました。神出学園も臨時休業を余儀なくされ、三ヶ月間も家で過ごすことになりました。「家から出るために神出に入ったのに、神出に行けないのはどういうことやねん。」家では引きこもっているときと変わらない生活で、何もしない自分がいました。「このままではあかん。早く再開してくれ。」毎日、そんな気持ちで過ごしていました。
やっと学園が再開したときには「よかった。」と嬉しく思いました。家では気力が出ない自分が神出に来ると、自然とやる気が沸き、体が動いていました。体を動かすと気持ちが上向きになります。また、全力で取り組むこともできました。
入学した頃は、人目がたくさんあるところでの自分の行動を常に不安に思い、また、人と話をした後に、言い過ぎてしまったのではないか、あれでよかったのかと考え込んでしまうことがたびたびありました。
しかし、今では、周りに気を使いすぎたり、気にしすぎたりしていた部分がずいぶんなくなり、普通のことが普通にこなせるようになりました。相変わらず周りからどう見られているのか不安はあるものの、自分の抱えている不安が小さくなったように感じます。それは寮生活やプログラム、行事などで様々な体験をしたからだと思います。体験を通して、自分の経験値が上がりました。
神出の生活では、いつもそばに先輩や同期、後輩、スタッフがいました。毎日人と過ごす生活の中で、人と自然に交流をし、人との距離感をつかんでいきました。人との関わりに慣れ、人との関わりを面白いと感じるようにもなりました。これまでの自分は、どうすれば相手が不快にならないかというマイナス思考で人と関わっていましたが、今では、どうすれば相手が楽しくなるか、また、どうすれば自分が楽しくなるかとプラス思考に変化して、人と関われるようになりました。
二十二歳の時、偶然が重なり奇跡が起きました。一つは僕が前向きになった時期に神出学園を紹介され、入学に間に合ったこと。もう一つは、年の近い十月生の同期に出会ったことです。奇跡が起きたのは、「行動する」ということを自分が選んだからだと思います。「行動する」時、不安や怖さが僕の大部分を占めていました。でも、「何か変わるかもしれない。変わればいいな。」というわずかな希望をもっていたから、行動することができたと思います。希望をもって一歩踏み出すと、すべての道がつながり、今この場に立っている自分がいます。
在園生のみなさん、悩んだり迷ったりしたときには、行動してみてください。わずかでも希望があるならば、おそらく道は開けていくと思います。行動しないと何も変わりません。
僕たち修了生一同は、本日をもってこの神出学園を旅立っていきます。「とうとう終わってしまうのか。こんなにみんなと過ごす楽しい時間はおそらくない。」そう思うと、寂しい気持ちになりますが、神出学園での思い出を胸に、未来に向かって一歩ずつ歩んでいきます。
僕たちをいつも温かく見守ってくださったすべての方々に感謝の気持ちを込めて、これを「旅立ちの言葉」とさせていただきます。
本当にありがとうございました。
令和三年三月十七日 修了生代表 四十七期 T.Y.
スポンサーサイト