令和元年度修了の集い
- 2020/03/11
- 17:43
新型コロナウイルス対策のため3月2日から23日まで学園休業ですが、別れの機会を守りたいという願いで、本日修了の集いを縮小開催しました。お別れ昼食・ステージは中止しましたが、野外での記念撮影・動物たち感謝の碑完成式・記念植樹は行いました。
感染防止のため、受付で消毒・マスク配布をしてから、修了生、修了生の保護者、スタッフのみで行いました。マスク姿、また在園生(47期生)が参加できず人数が少ない修了の集いでしたが、開催できたことが何よりでした。このようなときだからこそ、スタッフ全員で心を込めて送り出しました。神出学園という止まり木から飛び立とうとしている鳥たちの背中をそっと押させていただきました。修了生には、本当の居場所で思う存分飛び回って欲しいと願います。4月には48期生が入学します。飛ぼうとしない鳥たちに、また寄り添っていきたいと思います。

《 修了生代表 中川 栞里さんの「旅立ちの言葉」 》
今日、修了生代表としてこの場に立ち、話しができることをとても嬉しく思います。
ここに来る前の私も「本当の私」だったと思います。しかし、今でこそ、大声で笑ったり、「あれをしたい」「これが食べたい」と言える私ですが、当時の私は、明るく笑ったり、自分の思いを伝えたりすることはありませんでした。病気をして不登校になり、情緒不安定になって、何も無い状態でも泣いていました。
私と兄弟が幼い時、母が大きな病気をし、自分が思い描く長女としてのあり方に押し潰され、また、学校という集団を重んじる環境に、私の中の「何か」が「もう疲れた」と悲鳴を上げたのでした。母や弟達のせいではないとはっきり言っておきます。
空虚な日々を過ごしていた私に、ある日「神出学園に行こうか」と、祖母が声をかけてきました。「教師なんて、皆同じじゃないのか。神出学園に行ったからといって何が変わるというのか」そんな人間不信紛いの思いを抱えて参加した神出学園の一日交流体験。そこには、我がもの顔で先頭を進むアルフ。寒い中、牧場を駆け回るメェちゃん達。そして、自分と似たような境遇の参加者達がいました。自宅とは似ても似つかない場所なのに、いつぶりかわからない安堵感が胸に広がり「ここがいい」と涙してしまいました。それは、容易に変わった自分の気持ちに感心したり、あきれたりと、どう反応すればいいのかわからないが故の涙であったようにも思えます。
神出学園に入学したものの、私自身の人見知りの壁は厚く、プログラムに参加しても、なかなか他の学園生と打ち解けられずにいました。しかし、同期や先輩達は、何も喋らず、棒立ちになっていた私に、笑顔で話しかけてくれたので、私はいつのまにか自然と笑えるようになりました。また、言葉が足りなかった「私の意見」に対して、思いを汲み取ってくれたり、放置した結果の腰まで伸びた長い髪を「すごいね」と褒めてくれたりした友達がいました。また、トランプやウィーのゲームをするときなど、何かをするときにはいつも誰かが一緒。私のそばには友達がいました。そのことが楽しくて、嬉しくて仕方ありませんでした。空っぽだった私の心にも人並みにそう感じるものがあったんだと、新しい自分の一面を見つけることができました。
「変わったね」「がんばってるよ」と、担当スタッフやカウンセラーの方々に言われたとき、地に足がついた心地がしました。神出の人たちは、「私」をちゃんと見てくれている。「ここには私の居場所がある。」少し照れくさく、でも嬉しくて胸を張りたいと、こんなふうに私の心の中が温かくなったのは初めてでした。
これまでの私は、常に他人からの評価を恐れ、失敗したときの他人の反応を恐れ、失敗から学ぶ自分を出さないようにしてきました。集団の輪から外れることをいけないことだと思い込み、それに苦しむ自分を無視してきました。今だから言えることですが、不登校になったことは私にとって悪くはなかったと思います。不登校になり、単調で何も無い日々でしたが、無いからこそ得られるものもあり、これまで蓄積した重石をリセットできたり、こうして、「もう一人の本当の私」と出会うことができたりしました。「もう一人の本当の私」は、引きこもって人見知りの私を空のように眩しくて自由な場所へ連れ出してくれました。
緊張で上手く声が出なかった合唱、かっこいいと褒められたバンド演奏、学園行事のパンフレットの表紙や夏祭りのうちわに選ばれた数々のイラスト。素早いと褒められたボクササイズ。そして、やはり「和」が好きだと再認識させてくれた茶道プログラム。「こんな時間がずっと続け!」と願いました。
しかし、先輩方が旅立ったように私たちも神出学園を去る時がやってきました。学園を修了した後、私は学園と連携する通信制高校へ進学する予定です。新しい土地へ行くのは心細く、以前のような私に戻ってしまうかもしれないと不安に思いました。夜が来る度に怖くなり、進学をやめようかと思うこともありました。でも、友達のおかげで、私は一人じゃないと不安や恐怖を消し去り、挫けることなく次に進もうと思えるようになりました。
在園生のみなさん、学園で過ごす時間が楽しいほど、時は早く過ぎていきます。四月になれば四十八期も入学してきます。皆、不安を抱え、自分のことやまわりのことで四苦八苦したり、八方塞がりになったりするかもしれません。その時は決して一人で溜め込まず、力を抜いて、周りを見渡してください。必ず誰かが助けてくれます。寄り添ってくれます。この神出学園では絶対に独りにはなりません。
私たち修了生一同は、本日をもってこの神出学園を旅立っていきます。寂しい気持ちはありますが、神出学園での思い出を胸に、各々の道を一歩ずつ進んでいきます。
これまで私を支えてくれた祖母や父、私を認めてくださったスタッフの方々、神出学園を創ってくださった小林学園長、そして、私たちをいつも温かく見守ってくださったすべての方々に感謝の気持ちを込めて、これを「旅立ちの言葉」といたします。
本当にありがとうございました。
令和二年三月十一日 修了生代表 四十六期 中川 栞里
感染防止のため、受付で消毒・マスク配布をしてから、修了生、修了生の保護者、スタッフのみで行いました。マスク姿、また在園生(47期生)が参加できず人数が少ない修了の集いでしたが、開催できたことが何よりでした。このようなときだからこそ、スタッフ全員で心を込めて送り出しました。神出学園という止まり木から飛び立とうとしている鳥たちの背中をそっと押させていただきました。修了生には、本当の居場所で思う存分飛び回って欲しいと願います。4月には48期生が入学します。飛ぼうとしない鳥たちに、また寄り添っていきたいと思います。




《 修了生代表 中川 栞里さんの「旅立ちの言葉」 》
今日、修了生代表としてこの場に立ち、話しができることをとても嬉しく思います。
ここに来る前の私も「本当の私」だったと思います。しかし、今でこそ、大声で笑ったり、「あれをしたい」「これが食べたい」と言える私ですが、当時の私は、明るく笑ったり、自分の思いを伝えたりすることはありませんでした。病気をして不登校になり、情緒不安定になって、何も無い状態でも泣いていました。
私と兄弟が幼い時、母が大きな病気をし、自分が思い描く長女としてのあり方に押し潰され、また、学校という集団を重んじる環境に、私の中の「何か」が「もう疲れた」と悲鳴を上げたのでした。母や弟達のせいではないとはっきり言っておきます。
空虚な日々を過ごしていた私に、ある日「神出学園に行こうか」と、祖母が声をかけてきました。「教師なんて、皆同じじゃないのか。神出学園に行ったからといって何が変わるというのか」そんな人間不信紛いの思いを抱えて参加した神出学園の一日交流体験。そこには、我がもの顔で先頭を進むアルフ。寒い中、牧場を駆け回るメェちゃん達。そして、自分と似たような境遇の参加者達がいました。自宅とは似ても似つかない場所なのに、いつぶりかわからない安堵感が胸に広がり「ここがいい」と涙してしまいました。それは、容易に変わった自分の気持ちに感心したり、あきれたりと、どう反応すればいいのかわからないが故の涙であったようにも思えます。
神出学園に入学したものの、私自身の人見知りの壁は厚く、プログラムに参加しても、なかなか他の学園生と打ち解けられずにいました。しかし、同期や先輩達は、何も喋らず、棒立ちになっていた私に、笑顔で話しかけてくれたので、私はいつのまにか自然と笑えるようになりました。また、言葉が足りなかった「私の意見」に対して、思いを汲み取ってくれたり、放置した結果の腰まで伸びた長い髪を「すごいね」と褒めてくれたりした友達がいました。また、トランプやウィーのゲームをするときなど、何かをするときにはいつも誰かが一緒。私のそばには友達がいました。そのことが楽しくて、嬉しくて仕方ありませんでした。空っぽだった私の心にも人並みにそう感じるものがあったんだと、新しい自分の一面を見つけることができました。
「変わったね」「がんばってるよ」と、担当スタッフやカウンセラーの方々に言われたとき、地に足がついた心地がしました。神出の人たちは、「私」をちゃんと見てくれている。「ここには私の居場所がある。」少し照れくさく、でも嬉しくて胸を張りたいと、こんなふうに私の心の中が温かくなったのは初めてでした。
これまでの私は、常に他人からの評価を恐れ、失敗したときの他人の反応を恐れ、失敗から学ぶ自分を出さないようにしてきました。集団の輪から外れることをいけないことだと思い込み、それに苦しむ自分を無視してきました。今だから言えることですが、不登校になったことは私にとって悪くはなかったと思います。不登校になり、単調で何も無い日々でしたが、無いからこそ得られるものもあり、これまで蓄積した重石をリセットできたり、こうして、「もう一人の本当の私」と出会うことができたりしました。「もう一人の本当の私」は、引きこもって人見知りの私を空のように眩しくて自由な場所へ連れ出してくれました。
緊張で上手く声が出なかった合唱、かっこいいと褒められたバンド演奏、学園行事のパンフレットの表紙や夏祭りのうちわに選ばれた数々のイラスト。素早いと褒められたボクササイズ。そして、やはり「和」が好きだと再認識させてくれた茶道プログラム。「こんな時間がずっと続け!」と願いました。
しかし、先輩方が旅立ったように私たちも神出学園を去る時がやってきました。学園を修了した後、私は学園と連携する通信制高校へ進学する予定です。新しい土地へ行くのは心細く、以前のような私に戻ってしまうかもしれないと不安に思いました。夜が来る度に怖くなり、進学をやめようかと思うこともありました。でも、友達のおかげで、私は一人じゃないと不安や恐怖を消し去り、挫けることなく次に進もうと思えるようになりました。
在園生のみなさん、学園で過ごす時間が楽しいほど、時は早く過ぎていきます。四月になれば四十八期も入学してきます。皆、不安を抱え、自分のことやまわりのことで四苦八苦したり、八方塞がりになったりするかもしれません。その時は決して一人で溜め込まず、力を抜いて、周りを見渡してください。必ず誰かが助けてくれます。寄り添ってくれます。この神出学園では絶対に独りにはなりません。
私たち修了生一同は、本日をもってこの神出学園を旅立っていきます。寂しい気持ちはありますが、神出学園での思い出を胸に、各々の道を一歩ずつ進んでいきます。
これまで私を支えてくれた祖母や父、私を認めてくださったスタッフの方々、神出学園を創ってくださった小林学園長、そして、私たちをいつも温かく見守ってくださったすべての方々に感謝の気持ちを込めて、これを「旅立ちの言葉」といたします。
本当にありがとうございました。
令和二年三月十一日 修了生代表 四十六期 中川 栞里
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